ウォルター・ウェストン 古写真 松本城

「傾いた松本城天守」写真について(2)

前回投稿の続きです。

今回はこの写真の撮影年代を絞り込んでいきます。
ご着目いただきたいのは、「赤丸」と「青丸」の部分です。

まずは「赤丸」部分から。漆喰(しっくい)の白壁がはがれ落ちていますね。

この白壁の剥落状態を、「撮影年代が特定できる写真」と比較します。

まずは、このサイトのトップページにも使用させていただいている、ウォルター・ウェストン著「日本アルプスの登山と探検」に掲載された写真です。
(当時のオリジナル版から転載させていただいております)
明治29年にイギリスで発行された本に載っているのですから、当然その前に撮影されたものです。
ウェストンやこの写真については、またじっくりと解説させていただきます!

続いては、明治31年12月発行の「松本繁盛記」(←国立国会図書館のサイトにリンク)に掲載された写真です。
(ただし本写真は、昭和57年発行の「復刻版」から転載させていただいております。)

この3枚の写真の「赤丸」部分を比較します。



いかがですか。
壁の「白い部分」が一番多く残っているように見えるのは「傾いた松本城天守」の写真ですね。
「日本アルプス」「松本繁盛記」の順に、壁が落ちて黒くなった部分が増しているようです。

これにより、「傾いた松本城天守」の撮影時期は、少なくとも明治29年以前ということが判ります。

さらに撮影年代を絞り込むことはできないでしょうか?

今度は青丸の部分について検討します。

青丸エリアを拡大し、やや明るくしたものがこちらです。

この建物は松本中学(正確に言えば、当時は「長野県尋常中学校」)の校舎で、主に明治22年5月落成の増築部分が写っています

次の写真は、校舎を中心に多少右側のアングルから撮影されたものです。

増改築による若干の差異はありますが、同じ場所を写していることがお分かりいただけると思います。
この写真右側の「建物や屋根の形状、大木の位置」を覚えておいてください。

この「手前側に建物が写っていない」ことも重要なポイントです

次は、「松本城天守6階から南側を撮影した写真」です。
「ギャラリー(天守からの眺望)」もご参照ください。)

写真の中央手前に写る特徴的な建物群の落成が明治25年12月であることが判明しています。
この写真の右側の一部を拡大します。

先ほどの写真の「建物や屋根の形状、大木の位置」と比較してみてください。
もう、お判りですね!
「傾いた松本城天守」写真は、この写真中央の建物群の「着工前」の状態なのです。
この時期は明治22年5月以降、遅くとも明治25年春までの間ということになります。

手前味噌になりますが、この年代推定は「松本市史研究ー松本市文書館紀要ー第25号(平成27年3月)」に掲載いただいた拙著「松本城天守閣から撮影された明治古写真について」の「副産物」であり、それまでは「傾いた松本城天守」のイメージが「固定観念」として広く定着していました。
このサイトの「ギャラリー(松本城)」をご覧ください。ここには明治36年から大正2年にかけて施された「明治の大修理」の前、途中、後の写真を多数載せていますが、大きく傾いた写真は1枚もありません

松本城天守は16世紀末から「明治の大修理」まで約300年間、少なくとも「大きく傾いて」などいなかったのです!!
私たちは、松本城と、施工した大工さん達に、とても失礼な思いを抱いていたのだと思います。

それではなぜ、誰もが「松本城天守は大きく傾いていた」と信じ込んでしまったのでしょうか?
実は、このことこそが「貞享騒動の歴史的意義」と「義民加助の偉大さ」を際立たせるのです。
そして、「明治の大修理は小林有也校長による偉業」という一面も、おそらく影響しています。

このテーマについても近いうちに詳報いたします。

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