「西堀ノ蓮」というタイトルの絵はがき。明治40年頃から大正初期に発行されたものです。
タイトルの通り、一面蓮池となっています。現在の西堀地区からは想像ができない光景ですね。
この場所は100年余りの歳月を経て、大きくその姿を変えています。
場所特定の手がかりとなったのは、次の絵はがきです。松本城天守6階から南南西の方角を写しています。
右端に「西堀ノ蓮」と同じ特徴の建物が写っているのが確認できます。(クリックで拡大できます)
その建物は日蓮宗大法山「安立寺」の旧御本堂。明治23年に建立されました。
「Google Street View」にて屋根が見える現在の御本堂は、昭和50年に建立されたものです。
安立寺の南には「西総堀土塁公園」があります。すなわち、土塁公園西側の南北一帯が、「西堀ノ蓮」に写る蓮池=西総堀だったところです。総堀の両側には明治初期まで武家屋敷が並んでいたようです。
この一帯は大正10年頃に埋め立てられ、宅地化されました。
撮影スポットは中央のマーカー付近と思われます。ここから南南東の方角を写しています。
「西堀ノ蓮」の右端遠方には、うっすらと塔のようなものが写っています。
これは開智学校の八角塔です。開智学校は昭和38年に記念館として移築のために解体されるまで、女鳥羽川のほとりにありました。
松本城天守6階から撮影された絵はがきの中央付近に、学校の全景を見ることができます。
西堀