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松本城の南隅櫓(2)

前回記事「松本城の南隅櫓(1)」の続きです。
今回ご案内するのは、縁あってお譲りいただいた古写真です。(拡大可能)
「南隅櫓」が大きく写っています。

昔からの松本城ファンの皆様も、初めて目にされる光景ではないでしょうか。

元のサイズは、9.2センチ✕6.0センチ(台紙は10.5センチ✕6.3センチ)と、名刺判より少し大きめです。

さっそく元松本城管理事務所研究専門員で市文化財審議委員でいらっしゃる後藤芳孝先生にご覧いただいたところ、「南隅櫓の一番よい写真」とのお墨付きを頂戴いたしました!
そこで調子に乗って、いつもより一生懸命にまとめたしだいです

この櫓が建っていたのは、おおよそこの辺りです。


現在の様子と比べたら、ちょっと同じ場所とは思えないですよね!

当時のこの周辺を描いた錦絵もあります。(拡大できます)

これは、明治18年(1885年)に発行された「松本中学校開校式繁栄の図」です。
3枚の絵を貼り合わせたもので、緻密な絵とは言えませんが、当時の様子は良くわかりますね。
写真も、おそらく同じ頃に撮影されたものと考えます。

「アーチ橋」の名称が、「深瀬橋」だったことも判明しました

将来、松本中学校の名称が「深志高校」になるなど、知る由もなかった時代です。

もちろん「南隅櫓」も描かれています。「巧い」というより「味のある」描き方ですが...。

写真上、櫓の奥にポールが見えるので、位置関係は正確な感じですね。

しかし申すまでもなく、明治初期までは中学校も、アーチ橋もなく、水堀の向こうの「二の丸」は高い土塁と塀で閉ざされていたのです。
前回もご紹介しましたが、明治時代に造られたジオラマ(松本市博物館に常設展示)で、幕末までの様子を確認しておきましょう。

〇で囲んだ建物が、南隅櫓です。

「古写真」「錦絵」「ジオラマ」相互に表現の違いこそありますが、「南隅櫓」全体のデザイン・意匠に、さほど矛盾は無いように思います。

さて、全体感をご理解いただいたところで、今回の「古写真」についてさらに詳しく見ていくことにいたしましょう。

「古写真」は「南隅櫓」全体の、東から3分の2程度を写しています。
なぜ「3分の2程度」と断定できるのか...。
それは、この建物の幅を推定できる資料を拝見したからです

平成11年(1999年)に、松本城「太鼓門」が破却から128年ぶりに復元されました。

その復元を可能とした「指図(設計図)相当」とされた絵図があります。

それは、浅間温泉「富士乃湯」代表の二木様が保有する「信州松本城図」です。

この絵図は、水野忠周の城主時代(1713~18年)に描かれたものと考えられています。

この絵図がなければ、太鼓門の復元は成し得なかった訳で、松本城にとって「超一級の史料」です。

実は、松本城管理事務所にも同様な「信州松本城之図」という絵図があったのですが、肝心の太鼓門の「起こし絵」が欠落していました。

「富士乃湯」様は、この他にも当地ゆかりの貴重な美術品を大切に保管・展示なさっています。
ご相談させていただいたところ、たいへんなご厚意を賜り、ナント大切な史料を間近で拝見させていただくことができました。
二木様、本当にありがとうございます!
全く素晴らしい絵図で、この史料の話題だけでも連載ができてしまいますが、今回は失礼をして「南隅櫓」部分に絞ってご紹介させていただきます

まず高さについて、2階の「桁下が7尺」、「2階下(1階部分)が8尺9寸」と書いてあります。

7尺はおよそ2.1M、8尺9寸はおよそ2.7Mです。建築に詳しい方ならどこからどこまでの高さなのか、推定できるでしょう。

それから、この絵図に描かれた建物は、すべて「起こし絵」になっていて、描かれた建物の絵をめくると平面図が現れます。
子どもの頃に遊んだ「飛び出す絵本」の元祖のようです。

平面図の点(赤い〇で囲んだ所)が、柱の位置と考えられます。
東西に点が4つ、南北に3つ。
通常、柱と柱の間が「1間」ですから、「南隅櫓」の敷地は東西3間、南北2間であったと考えられます。
1間=1.818Mなので、東西5M半位、南北3M半位の広さですね。

さらに、南隅櫓の写真には「石落とし」が写っています。

「石落とし」は柱と柱を跨いで造作された筈ですから、その幅はおそらく1間強。
西側も「石落とし」を備えた左右対称のデザインとすると、東西の「石落とし」の間、1間弱の範囲に格子窓があると考えます。

以上が、私が写真に写っている範囲を全体の「3分の2程度」と判断した論拠です。

この建物の規模を、現存する櫓の大きさと比較して見てみましょう。

「3間✕2間の二階建櫓」で現存するのは、群馬県の「高崎城・乾櫓」ぐらいしか見つけられませんでした。

「平櫓」であれば、大分県の「日出城(ひじじょう)・裏門櫓」も「3間✕2間」です。

規模としての違和感はありませんよね。
櫓としては小規模な部類のようですが、「松本城南隅櫓」は土塁上にあったので、きっと見晴らしは良かったことでしょう。

個人的には「南隅櫓を復元出来たらいいなぁ」とは思います。(水堀を復元する際には「アーチ橋」も)
大名町側の「実質メインゲート」脇に位置する訳ですから、観光資源としての魅力は間違いなくアップするでしょう
(本来のメインゲートが「太鼓門」であることはさておいて...)
おそらく、今後、発掘調査等により、土台となった土塁の位置とか角度、高さ等が特定できれば、文化庁の承認を経て、技術的にも十分復元可能なのだと思います。

しかし、先日火災に見舞われた「首里城」のことを考えると、復元よりも、防災対策の方が優先度が高いようにも思います。
いずれにしても、多額のお金がかかるお話ですから、軽々しく結論めいたことは申せません
また、外堀復元にあたって、影響を受けられた住民や事業者のお気持ちにも配慮が必要だと思います。
松本城整備計画の今後のあり方については、関係者のみならず、市民全体で議論していく必要があるのではないでしょうか。

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