➀【明治30年代(1900~1910年頃)の古写真】→➁【AIによるカラー化】→➂【令和元年(2019年)春】→➀→➁→➂→➀....
2.古写真に写っているもの (クリックで新しいタブが開きます)
3.解説
この古写真は、明治40年頃に発行された絵はがきです。
特徴的なのは「松本神社」の社殿が「西向き」であったことです。大正2年に「南向き」の現在の社殿に改築されました。
「松本神社」の北側には、昭和7年に埋められる前の「総堀」が写っています。
その奥には水田が広がり、さらにその先の林に囲まれた地域は、武家屋敷が並んでいた「徒士町(おかちまち)」周辺です。
上の画像に「岡田宿」や「刈谷原峠」「稲倉(しなくら)峠」を示しましたが、明治中期以前は「岡田宿」で分岐して「刈谷原峠」越え(北国西街道)が長野方面、「稲倉峠」越え(保福寺街道)が上田方面への主要なルートでした。
この写真が撮影された後、松本城の北側では、明治43年8月に「松本尋常高等小学校田町部」が開校、昭和2年には「市立松本病院」が開院するなどし、宅地化が一気に進んでいきました。
現代の写真では、外堀の向かいに松本神社と裁判所が見え、その奥に住宅街が広がっています。遠くには「信州大学松本キャンパス」や「浅間温泉」の旅館街が見えます。
4.他の方角へのリンク
・松本城天守閣からの眺望景観 今昔【東】
・松本城天守閣からの眺望景観 今昔【西】
・松本城天守閣からの眺望景観 今昔【南】