大正5年9月26日に連載が始まった「義民嘉助」は、今日からちょうど103年前、第97回をもって最終回を迎えました。
その内容は、松本藩主水野忠恒による「江戸城・松の廊下の刃傷事件」に端を発した水野家没落の過程と、これを「嘉助の祟り」として畏れ、永くお祭りすることになるまでのお話です。
「松の廊下の刃傷事件」といえば、何といっても「赤穂事件」が有名です。
しかし、意外と知られていませんが、同じ場所で松本藩主も刃傷事件を起こしていたのです。
作者の半井桃水は、最後にこのように記しています。
「今、この稿をを終えるに当り、作者は一言附言したい事がある。昔時領主の暴政にたえず、百姓の疾苦を見かねて、奮然犠牲となった義民が、めいめいの裡に教訓を与えて、永く郷党を益する事は、言うまでもない遺徳ながら、後世義民の真意を解せず、いたずらに皮相を学んで、反抗心を助長し、温和恭謙の美質を失うが如きは、義民の素志にもとる者、本編を読まるる諸君も、すべからく、ここに留意せられん事をこいねがう。」
今の世にも通ずる、考えさせられる一文だと思います。
紙面によると、翌日の大正6年1月1日からは、ペンネーム「碧瑠璃園」こと渡辺霞亭による「幡随院長兵衛」の連載が始まったようです。
「義民」の後に「侠客」のお話とは、当時の新聞小説もバリエーション豊かですね!
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来年はもう少し記事をシンプルにし、更新頻度を高めたいと思います。
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