「松本城の古写真」といえば、まずこちらを連想される方が多いと思います。
※松本深志高等学校同窓会蔵
「貞享騒動(17世紀)にて、義民・多田加助が処刑される際に松本城を睨みつけ、天守が傾いた」
「明治30年代、倒壊寸前だった松本城を松本中学校長小林有也が資金を募り修理した」
主にこれらのエピソードを象徴する写真として、各種メディアに登場していました。
この写真について、以前私は2つの課題を提起させていただきました。
1.傾いて写っている原因は、レンズの収差(歪み)によるものではないか?
2.撮影年代は明治22年から25年の間ではないか?(明治の大修理より10年以上前)
その概略は、平成27年6月26日、光栄にも市民タイムス様にご掲載いただいております。
ここではもう少し詳細にご説明いたします。
まず「1.」を考えたきっかけは至ってシンプルです。
5年ほど前になりますが、所有するiPadで撮影した松本城が、ほぼ同じような傾きを示したのです。
私が撮影した写真の歪みの原因は、レンズの「収差」によるものです。(詳しくはリンクを参照願います)
当時のiPadは、最新型に比べてレンズ構造がシンプルで、昔のカメラに近いのかもしれません。
古写真に線を引いてみると、各階が規則正しく歪んでいることが判ります。
こんなに均等に歪むのは、むしろ不自然です。
画像ソフトにより「収差」の補正を試みたところ、短時間で「まっすぐ」になりました!
しかし私は光学や写真技術の専門家ではありませんので、このことをもって松本城天守の傾きの原因がレンズの収差によるという、最終的な判断はできませんでした。
次回の投稿では、
「2.撮影年代は明治22年から25年の間ではないか?(明治の大修理より10年以上前)」
についてご説明します。
古写真を比較する「面白さ」の一端をお伝えできると思います。
いずれにしても、
松本城天守は、(少なくとも大きくは)傾いていなかった(のではないか)。
すなわち、軟弱地盤上に在りながら、300年間直立を保つ、極めて優れた木造建造物だった(のではないか)
ということになれば、世界遺産登録を目指すうえでも有意義な視点になるのではないかと思っています。
さて、上記新聞記事を掲載いただいた当時、多田加助と同郷の友人より「わが村の英雄伝説を無くさないでくれ!」と言われたことがあります。
...無くすなんて、とんでもありません!!
調べれば調べるほど、加助伝説の偉大さを再認識します。
このテーマも含め、順番にご案内してまいりますね。