松本城 風景

松本城天守から西側の眺望

今回ご紹介するのは、松本城天守6階から西方を撮影した絵はがきです。
明治34年(1901年)開校の松本高等女学校(現松本蟻ケ崎高校)が写っており、明治30年代後半の撮影と考えられます。
右側の建物群は明治14年(1881年)以降建築された「監獄署(今の刑務所)」です。

それから100年余を経た現代の光景です。

幕末まで、この方角は次のような様子でした。
(出典「国宝松本城公式ホームページ(松本城を残し伝える)」より)

江戸時代、監獄署の場所には「作事所」という主に土木・建築の作業場がありました。
「馬出」「西不明門」は、明治初期に取り壊されていますが、写真に当てはめると次のような位置関係です。

「不明門」は「不開門」と記されることもありますが、いずれも「あかずのもん」です。
この方角は主に耕作地で、武士や御用商人の通行頻度が少なかったため、このように呼ばれていたようです。

「馬出」は、城の出入口に築かれた防御施設の一種です。
この位置は、今の松本税務署の建物の北側辺りとみられます。

これら江戸時代の城下の姿を、立体的にイメージできる場所があります。
松本市立博物館の常設展示室にある、明治44年(1911年)に小学校の先生方が完成させたジオラマです。

絵はがき写真の撮影方向は、こんな感じでしょうか。

「不開門(不明門)」「馬出」部分のアップです。

なるほど、「馬出」のような土塁と堀がセットになった防御施設があれば、城の出入口の警護が堅くなりそうですね。

ところで「お城のジオラマ」といえば、私にとって忘れられない思い出があります。
次の写真は、平成28年(2016年)3月に初めて九州を訪ね、熊本城天守内にて撮影したものです。

「いつか松本でも、このようなジオラマができればいいなぁ」と、じっくり見学したのを鮮明に覚えています。
(と思っていたら、新松本市立博物館のオープンに向け新ジオラマを制作するのですね!)
1日も早く熊本城ジオラマが、再び多くの観光客の方々に囲まれる日を迎えられますように!

また、熊本城にも「不開門」(重要文化財)があって、その際に立ち寄っています。
この「不開門」は、城の鬼門にあたる北東に位置し、不浄なものを運び出す際にのみ使われていたそうです。

この門は震災によって、付近の石垣とともに倒壊してしまいました。
わずかひと月前にその場にいただけに、とてもショックでした。

平成28年の熊本城見学のついても、いずれまとめておこうと思っています。
熊本城の復興を心から祈念しています。
(この時ばかりは初日に「熊本城災害復旧支援金」の手続きをしました)

最後に、絵はがきの年代推定のヒントをご紹介します。
明治40年(1907年)3月までは、絵はがきの宛名面に文章を書くことは認められておらず、写真や絵の面の余白に通信文を書いていました。
それが明治40年4月からは下3分の1、大正7年(1918年)4月からは下2分の1まで、「通信欄」を設けることが許されるようになりました。
以前、「深志神社 境内(大鳥居前)」の記事の最後にご紹介した宛名面には、「通信欄(の仕切り線)」があります。

今回のはがきの宛名面はこちらです。「通信欄(の仕切り線)」がありません。

したがって、明治40年3月以前に印刷された可能性が高く、撮影時期はさらに遡って明治30年代と考えられます。
ただご覧の通り、この絵はがきには、宛名面の「印刷ミス」があり、実際には販売されなかったものと思います。

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